いつか終わるブログ

【いつか終わるなら、今日は少しゆっくりしよう】1992世代の半分ニートみたいな個人事業主。映画と英語と新しいものが好きです。彼女はタイ人。

与えなかった事によって生じる後悔は、与えた事によって生じる損失よりも大きいよな

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振り返ってみれば、僕の後悔の大半は何かをやってしまった事からではなく、何かをやらなかった事が元となり生まれたのだと思う。

 

例えば、高校生の時の元カノには「あんまりこっちから愛情表現をしてしまうと、いざ別れるとなった時に俺がみじめすぎる」という発想から、あえてそっけない態度をとったり、束縛気味になったりしたし、反抗期には「母親なんだから(父親なんだから)俺の面倒みるのは当たり前だろ!」みたいな腐った思考で両親に迷惑を掛けたりした。

 

そんなバカだったから、後悔の数を挙げれば当然とんでもない数になる。

 

優しい言葉や感謝の言葉をいう事によって、裏切られた時に自分の立場が弱くなる、みじめな気持ちになると思っていたんだと思う。しかし、そういう発想こそが自分を弱者たらしめるのだと、この年になってようやくわかって来た。

 

結局、自分がみじめかどうか、自分がどう思われているかを気にし過ぎていると何にも出来ないのだ。

何に対しても見返りを求めていると、最愛だと思った人に優しく出来なかったり、大切な存在を傷つけてしまったりする。

それじゃあ最低最悪の人間だよな。生きていても意味がない。

 

だから、大切な人にはなんでも与えてしまっていいと思うんだ。

 

頑張れば意外と時間は作れるし、お金がかかったらまた稼げばいい。

みじめな思いをしたら、何か楽しい事をすればいい。

求めていた見返りが返って来なかったら、もう一度与えてみればいい。

経験上、信じて裏切られるより、信じずに裏切ってしまう事の方がよっぽど痛い。

 

僕は元カノに精一杯優しくするべきだったし、両親には全身で感謝の気持ちを表すべきだった。

その事は後悔として僕の心の奥底に沈殿している。時が経ち、心が痛むことは少なくなっても、思い出してしまうとどこか居心地が悪い。

 

そういう後悔はもう嫌だから、与えられるものは全て与える事を心がけている。

両手が空っぽになったみたなみじめな気持ちになる時もあるが、ヘドロみたいな後悔が増えるよりはましだとおもっている。

 

さて、地球の裏側、ブラジルでは明日6月12日は恋人の日らしい。

どうでもいい事だ。でも、そんなどうでもいいいことを一緒に祝える人がいるならば、ちょっとしたサプライズプレゼントでも贈ってみたらどうだろうか。